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ラオスのこどもたち



自主ボランティアプロジェクト
LAOSの日本人ボランティア(JVC)を支援する絵はがき制作




『こんな企画って、ふとしたきっかけで始まり、出会う人たちの勢いで広がるものなんですね・・・』



1993年に香川県主宰のスタディーツアーにゆうじが参加、現地のボランティアスタッフと交流が始まりました。

そして、彼らの手助けになり、ラオスと何らかの形でもっと関わりをもてないものかと、考えるようになりました。

そしてなにより、ゆきにすばらしいラオスを見せたくなってきたのです。

まず、一般的なボランティアの言葉のイメージとは違う視点で、あくまでも、私たちのスタイルで接することを考えました。

そこで、ゆきが日本で子どもたちに絵を教えていることもあり、ラオスの子どもたちにも絵を描いてもらうことに・・



この話は

大阪の広告代理店「大伸社」がポストカード制作を快諾

「さくらクレパス」が在庫の画材提供を快諾

地元の画材屋「あわいや」が色画用紙を提供

家族ぐるみの友人「sitting」が展示用の額の制作を・・

展示は大伸社、NHK、四国学院大学、岡山生協、広島市など

また、現地での交流のきっかけにと、兵庫県の椿野氏から日本人の子どもたちの絵をいただく

と、どんどん広がっていきました。


大地震

そして1995年再度ラオスを訪れことに・・・

その年の旅立つ数ヶ月前に阪神淡路大震災のがありました。

四国からの新幹線、高速は寸断され、とても関空にたどり着けない状況でした。

そこで徳島から海路、空港にたどり着く方法でどうにかプロジェクトが始まりました。


チェックイン

空港では荷物検査があります。

ザックの中には大量の絵の具が詰まっているので、x線で見ると鉛のチューブはマシンガンの弾丸状態なんです。

モニターを横から眺めて本人もちょっとビックリするぐらいでした。(笑)

そして、すべての経由地で荷物を開けられたのは当然のことでした。









ラ オ ス

さてラオス、といっても聞きかじりの内容ですので、その点をご承知置きください。

当時のラオスはまだタイとの国境に流れるメコン川の橋の建設前で社会主義の閉鎖的な国でした。

国民の移動には制限があり都市に人口が集中するようなことはありません。

農村では自分たちの田んぼや森を大切に生活していました。

私たちにはとても豊かに思える生活だけど 現地の人はどう思っていたのか・・。



















子どものお絵かき






日本人が運営する図書館でお絵かきです。

日本人スタッフが通訳をしてくれるので、子どもたちとコミニケーションがとれ、とても仲良くなれました。









ヴィエンチャン郊外の農村に行きました。





みんな描いてくれる、ラオスの学校の絵です。

最初は分からなかったのですが、実際に学校にいくと『なるほど!』と納得しました。



最後に私たちのお気に入りのスペースを



ヴィエンチャンの市内にぽつんとあったゲストハウス的なホテル

いくつかのコテージが集まった中庭にはテーブルがあり、

頭上からカラフルな植物が迎えてくれます。

NGO方も疲労したときに利用するそうです。

残念ですが現在はなくなったような情報が・・・・・・。







帰国後

絵葉書販売をかねて、全国各地のJVC活動報告会で子ども達の絵を展示しました。


大阪、横浜、岡山、広島、香川など




御 礼

今回のプロジェクトに、ご協力いただいた方々に心より御礼申し上げます。






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